── 開かれた福音、歩む教会、リベラルな霊性のかたち
「自由と友愛」に込めた祈りのかたち
自由と友愛の独立アングリカン教会は、その名のとおり、「神から与えられた自由」と「隣人とのあたたかなつながり(友愛)」を、信仰のまさに中心に据えています。
この「自由」と「友愛」は、ただの理想やスローガンではありません。むしろ、それはアングリカン(聖公会)的な中庸の道(via media)と、現代のリベラリズムが持つ倫理的な気づきが出会い、響き合うところから生まれた、わたしたちの祈りと生き方の根幹なのです。
リベラルな霊性:信じることの自由と誠実さ
信仰と良心の自由
信じるという営みは、誰かに強いられるものではありません。一人ひとりが、神の前に立ち、自らの良心に耳を澄ませ、祈り、学び、そして歩んでいく。その自由こそが、信仰の豊かさを支えているのだと、わたしたちは信じています。
教義は、人を従わせる道具ではなく、むしろ共に語り合い、分かち合い、育てていくべき「対話の場」だと考えています。
包摂と平等に向けて
わたしたちの教会は、誰もが神の目に尊く、聖なる存在であると信じています。だからこそ、LGBTQ+の方々を含むすべての人が、安心して自分らしくいられる場をつくることを大切にしています。
女性の司祭や主教の按手も、当然のこととして支持しています。それは、ジェンダーの平等を単なる理念としてではなく、信仰の実践として生きるためです。
教会は「正しい人だけの集まり」ではありません。むしろ、神の愛によって生かされ、癒され、再び歩み出すすべての人のために開かれた場所であるべきだと、わたしたちは心から願っています。
社会正義と、わたしたちの責任
「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと。」
―ミカ書6章8節
この言葉に導かれながら、わたしたちは信仰のうちに社会的責任を見出しています。
貧困や差別、暴力、不平等。こうした現実に対して、教会が沈黙することはありません。声を奪われた人々のために、声を上げる。それが、わたしたちが目指す教会の姿です。
また、神の創造のわざを守るために、環境問題にも取り組んでいます。これは単なる活動ではなく、信仰の延長線上にある、霊的な応答だと信じているからです。
「神がお造りになったものは、すべて良いものである。」
― 一テモテ4章4節
教会は、希望のかたちであるために
制度や型に縛られるのではなく、でも、深い根を持つ木のように、伝統を支えにしながら自由に枝を伸ばしていく。そんな教会でありたいと、わたしたちは願っています。
歴史の中には、ローワン・ウィリアムズやデズモンド・ツツといった聖公会の指導者たちがいました。彼らは、対話と包摂、そして正義の道を切り開いてきました。わたしたちもまた、その足跡をたどりながら、今という時代を歩んでいます。
ともに歩む祈りへ
自由と友愛の独立アングリカン教会は、「自由に祈り、友愛によってつながり、正義と慈しみに生きる」ことを、教会共同体の柱としています。
聖公会の豊かな伝統に根ざしつつ、現代の声に耳を傾けながら、一人ひとりが神に愛されていることを実感できるような、そんな教会を目指しています。
もしも、わたしたちの祈りや歩みに、少しでも心が触れるようなところがあったなら —— どうか、共に祈り、共に歩み、共に仕えてくださることを願っています。