大主教からのご挨拶

—— すべての人に開かれた教会として、生きるために

主の平和が、あなたと、あなたの大切な方々と共にありますように。

このたびは、自由と友愛の独立アングリカン教会のホームページをご訪問くださり、心から感謝申し上げます。
この小さな教会の歩みと祈りが、あなたの人生のどこかにそっと寄り添い、神さまのやさしさやあたたかさと響き合うようなひとときになればと願っています。

わたしたちの名が語るもの

「自由と友愛」 —— この言葉には、わたしたちが大切にしてきた祈りの姿勢、その原点が込められています。

「自由」とは、自分自身の良心と向き合いながら、神の前にまっすぐに立つこと。
「友愛」とは、違う背景や人生を持つ人同士が、互いを認め合い、支え合って生きていくこと。

これらは、単なる理想論ではありません。
むしろ、アングリカニズム(Anglicanism)の深い霊的伝統に根ざした、わたしたちの日々の実践であり、教会共同体の土台です。

わたしたちは、制度に閉じこもるのではなく、同時に伝統を軽んじることもなく、現代に生きる人びとの声や痛みに、耳を傾け続ける教会でありたいと願っています。

神の愛において、誰ひとり取り残されないために

わたしたちの教会が信仰の根幹に据えているのは、すべての人びとの「いのち」と「尊厳」です。
性別や年齢、性的指向、信仰の深さや過去の歩み、それらにかかわらず、すべての人が神さまのまなざしの中にある —— そのことを信じています。

「神がお造りになったものは、すべて良いものである。」
― 一テモテ4章4節

この聖句が語るように、わたしたちは、誰もが神によって造られ、愛され、祝福された存在だと信じています。

だからこそ、LGBTQ+をはじめとする多様なアイデンティティを尊重し、女性やトランスジェンダーの聖職者の按手も当然のものとして受け入れています。
誰も排除されない、そういう教会であり続けたいのです。

わたしたちは「祈り」でつながっています

わたしたちの礼拝は、1662年版『Book of Common Prayer(公祈祷書)』に基づく、伝統的なアングリカンの典礼を大切にしています。

その中には、言葉を超えた神の沈黙、静けさの中の導き、共同体の交わりにあらわれる愛が満ちています。

悔い改めの祈り、聖書朗読、共同の祈り、平和の挨拶、そして聖餐。
どのひとつも、日々の生活や人生の節目に寄り添いながら、信仰を今に響かせてくれる「祈りのリズム」なのです。

教会は建物ではなく、いのちの交わりです

教会とは、「正しい人」の集まりではありません。
むしろ、癒しや赦しを求める人たちが共に祈る、いのちの交差点のような場所です。

制度を守るだけの組織ではなく、神の霊が息づき、希望が灯る、そんな空間であることを願っています。

わたしたちはここで、共に歩み、共に問い続け、
お互いの違いの中にこそ、神の豊かさと栄光を見る信仰を分かち合いたいのです。

「これから」の教会へ

わたしたちが目指すのは、
「自由に祈り、友愛に生き、正義と慈しみに立つ」教会です。

それは、デズモンド・ツツやローワン・ウィリアムズといった先達が体現してきたように、和解と包摂、そして誠実な霊性を受け継ぐ道でもあります。

いま、世界は分断と疲れを抱えています。
そんな時代だからこそ、わたしたちは小さくとも、希望のしるしであり続けたいのです。

さいごに

このメッセージが、あなたの心に、小さなあかりをともすものであれば ——
それほど嬉しいことはありません。

あなたの祈りの旅が祝福され、
そしていつか、共に祈り、笑い、仕える日が与えられますように。

キリストの平和のうちに。

自由と友愛の独立アングリカン教会
大主教 佐藤俊介

 


2017年5月、アングリカンの伝統に則り、Nathan N. Muwombi 主教をはじめとする3名の主教を主たる按手者として、主教職へ按手聖別。使徒継承の権能を授かる。

着座に伴い掲げられた紋章: 

モットー:「正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ書 6:8)

 

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